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山梨県甲府市はなぜ「宝石の街」と呼ばれるのか。山梨が誇るジュエリー産業の歴史とは

山梨県甲府市はなぜ「宝石の街」と呼ばれるのか。山梨が誇るジュエリー産業の歴史とは

山梨県甲府市は、古くより宝石産業が盛んなことで知られる街。数多くのジュエリー関係の業者が軒を連ね、日本のジュエリーの20%を生産しているという「宝石の街」です。そんな甲府市における、ジュエリー産業の歴史を紹介!

水晶発祥の地と言われる山梨県甲府市

山梨のジュエリー産業は、甲府市の奥秩父山塊にある、金峰山一帯を中心とする地域から水晶が産出されることから始まりました。その歴史は古く、遺跡から旧石器時代~縄文時代のものとされる矢じりや刃物として加工された水晶が多数発掘されているほど。当時、矢じりのほとんどは黒曜石と呼ばれる石で作られたものでしたが、この地では水晶が豊富に産出されたことから、日常生活品として活用していたと考えられています。

京都の職人から伝えられた水晶の研磨技術

かつて水晶の採掘は禁止されており、雨などで自然に露出するまでは手に入らず、産出した水晶は自然の形のまま床の間などの置物にするのが主流でした。ところが江戸時代後期、この水晶を求めて京都からやってきた玉つくり職人が、必要な水晶が手に入るまでの間、金峰山を御神体として祀っている「金桜神社」の神官たちに水晶の磨き方を教えことをきっかけに、水晶を美しく研磨することが知られていきました。この時加工されたと伝えられている水晶の「水の玉」と「火の玉」はご神宝として今も大切に納められており、この地が「水晶発祥の地」と呼ばれるようになったきっかけと言われています。

水晶の研磨技術から発展した山梨の宝飾産業

そうして伝えられた水晶の研磨技術は、その後思わぬことから発展を遂げていきます。江戸時代末期まで繁栄を極めていた金桜神社でしたが、明治維新で定められた廃仏毀釈により衰退の一途へ。それにより日々の生活にも困窮するようになった下級神官の人々が、学んだ水晶研磨を仕事とするようになったのです。そしてそれまで禁止されていた水晶の採掘が許可され原石が多量化したことに伴い、より商いに便利な甲府に工場を建て、商いを広げる人が増えていきました。そうしていつしか、水晶を採掘する人、研磨する人、商売を行う人という、山梨県甲府市の宝飾産業の土台が出来上がっていったのです。

山梨のジュエリー産業発展の歴史

水晶の産地として知られたことから始まった山梨県甲府市の宝飾産業。「宝石の街」は、明治から昭和へと時代が進む中でどのように発展していったのでしょうか。戦前~戦後の歴史を見ていきましょう。

山梨のジュエリー産業発展の歴史
olivier / stock.adobe.com

明治~:水晶研磨と貴金属工芸、ふたつの産業が発展

明治以降、山梨県甲府市における水晶の研磨技術は全盛期を迎えます。研磨を生業とする甲府の錺(かざり)職人に加え、明治初期の廃刀令によって仕事を失った刀職人たちが静岡など近隣の県から甲府へ移り住んだこともあり、貴金属工芸も盛んに。このふたつの産業が結びつき、貴金属工芸は国の伝統的工芸品に指定された甲州水晶貴石細工へ、水晶研磨は様々な宝石の研磨技術へとそれぞれ発展。市場性の高い製品づくりを行うようになりました。

明治後期~大正初期:世界的なジュエリーの一大生産地に

そうして全盛期を迎えた甲府市の水晶研磨技術は、明治後期~大正初期にかけて機械化が進み、量産ができるようになっていきました。それにより、業者同士の採掘競争が激化。地場の水晶の原石は枯渇していき、徐々に外国からの輸入に頼るように。大量に輸入される海外産の水晶を用いて量産した水晶細工やネックレスなどはアメリカや中国へ輸出されるようになり、甲府は、企画、買い付け、研磨、加工から流通まで全てが揃う世界的にも珍しいジュエリーの集積産地として、「宝石の街」と呼ばれるようになったのです。

昭和~:戦後復興から高度成長期へ

昭和に入り、戦争で甲府の研磨宝飾産業も壊滅的な被害を受けましたが、戦後、進駐軍の兵士たちがネックレスや水晶細工などを大量に購入したことをきっかけに立て直しが始まります。戦時中の華美な装飾品への抑圧への反動もあり、需要の増した日本国内向けに本格的な宝飾品の生産が始まりました。高度成長期を迎えると、次第に宝飾品は高級品嗜好へと移行。ダイヤモンドをはじめとする宝石にプラチナなどの素材を使用した高品質な製品の加工に取り組むようになり、「宝石の街」は再び賑わいを見せるようになりました。

現在も進化し続ける山梨のジュエリー産業

昭和以降の景気変動の中、日本のジュエリー産業も大きな影響を受けました。そのような中でも、山梨県甲府市は「宝石の街」として更なる宝飾業界の発展を目指し、現在に続くさまざまな取り組みを行っています。その一例を紹介。

現在も進化し続ける山梨のジュエリー産業

昭和中期~:ジュエリー人材育成の取り組みを開始

昭和の中期以降、海外から輸入された優れた貴金属ジュエリーのデザインや加工技術から影響を受け、山梨県甲府市ではさらに種類豊富な宝飾品が製作されるようになりました。この地がジュエリーの産地として認知されていく中で、研磨宝飾産業のさらなる発展と人材育成を目的に、昭和56年、国内唯一のジュエリーの専門学校である「山梨県立宝石美術専門学校」を開校。地域の企業とも連携し、産業を支える新しい世代が育成され、多くの卒業生が県内外の宝飾業界で活躍するようになりました。

昭和後期~平成:バブル崩壊後も積極的に業界発展に努める

バブル景気を迎え、ジュエリーの市場はさらに拡大、発展しましたが、崩壊後は一転して国内のジュエリーのマーケット規模は縮小。山梨県甲府市のジュエリーの生産高も減少しています。この状況を受け、今では国際競争力を持つ産業構造への転換を目指し、これまでの伝統的な研磨宝飾の製品に加え、「山梨ジュエリー」としてのブランドを世界に広めていく動きなど、グローバル市場に対応した新たな試みを始めています。

また、甲府市では街を上げてジュエリー産業を盛り上げていく動きも活発。「ジュエリーミュージアム」をはじめ、市内には宝石の研磨体験や工房見学などができる施設やショップが多数。ジュエリーマップを作成するなど、観光振興にも力を入れ、地場産業としての宝飾業界を広く認知させていく動きを続けています。

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「宝石の街」、山梨県甲府市の宝飾産業の歴史をご紹介しました。長い歴史を経て、今なお地域全体でジュエリー業界の発展を目指しさまざまな取り組みを行う甲府市。ぜひその魅力を、観光やふるさと納税で体験してください。

■この記事のポイントのまとめ 

山梨のジュエリー産業は水晶の産出から始まった
山梨のジュエリー産業発展の歴史
現在も進化し続ける山梨のジュエリー産業
ふるさと納税返礼品としても人気!山梨の老舗宝飾メーカー発・山梨ジュエリー

山梨県甲府市はなぜ「宝石の街」と呼ばれるのか。山梨が誇るジュエリー産業の歴史とは